高木 亮治
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA) 宇宙科学研究所 准教授
HPCIコンソーシアムでは、HPCIシステムを支えるハードウェア・ソフトウェア・運用体制等、我が国のHPC基盤のさらなる発展のためのボトムアップの議論を実施し、毎年その結果を集約し、それを提言として文部科学省に手交しています。ここでは最新の提言である2022年6月22日に文部科学省に手交した「【提言】「富岳」本格運用時のHPCIおよび次期フラッグシップ計算機の在り方について」の概略を紹介いたします。この提言はHPCIの中心的な存在である二代目フラッグシップ計算機「富岳」の共用が2021年3月に開始され、成果創出加速プログラムでの成果をはじめ、様々な成果が創出されつつある状況の下で、前年に発出した「【提言】「富岳」本格運用期における計算科学技術振興の在り方について」に続き、「富岳」成果創出加速プログラム、HPCIエコシステム並びに次期フラッグシップ計算機に関して、計算科学・計算機科学コミュニティとの議論を行った結果をまとめたものです。それぞれの提言の詳細に関しては実際の提言を読んでいただくとして、ここでは特に重要だと考える2つの提言、①人材育成と②次期フラッグシップ計算機開発について紹介いたします。
①人材育成に関する提言:
フラッグシップ計算機を活用するための重点分野の設定や、そこでの課題解決に向けたアプリケーション・ソフトウェアの開発、関連する人材育成などフラッグシップ計算機の利活用を進めるための施策として、HPCI戦略プログラム、ポスト「京」重点課題が実施されてきました。特にHPCI戦略プログラムの重要な事業であった「計算科学推進体制の構築」によって、計算科学の様々な分野での計算科学技術振興が開始され、アプリケーション・ソフトウェアの開発のみならず、開発されたアプリケーション・ソフトウェアの普及活動、最先端計算技術やアプリケーション・ソフトウェアの開発および利用を支える人材の育成・教育活動、実験・観測や産業界との連携促進活動、研究成果の社会への情報発信などが実施され、「京」の成果創出の拡大に大きく貢献しました。しかしながら「富岳」本格稼働と前後して開始された「富岳」成果創出加速プログラムでは予算が大幅に削減され、その結果HPCI戦略プログラムで誕生し、ポスト「京」重点課題で準備が進められた「富岳」で実施すべき科学的・社会的重点課題のうち、中断もしくは規模の縮小を余儀なくされた課題も多く、短期的には「富岳」による成果創出が十分に実施できない状況となりました。更に深刻な問題として、人材育成・教育活動への投資が不十分になったことにより、将来的なアプリケーション・ソフトウェアの研究開発能力が低下し、計算科学ひいては基礎科学の衰退、更には世界に対する研究競争力、産業競争力の低下を招くことが危惧される状況となっています。HPCI戦略プログラムやポスト「京」重点課題を通じて育成された若手研究者等による成果創出への貢献が期待されていましたが、その後の大幅な予算削減により、折角育った若手研究者の雇用を大幅に減らさざるを得ず、「富岳」が稼働して研究が本格化した段階で活躍すべき貴重な人材を失った課題もあります。「富岳」での成果創出のためには、多様な人材(主に大学、研究機関における研究人材、ソフトウェアベンダー等における開発人材、産業界における活用人材)が必要であり、どのタイプの人材が欠けても継続的に成果を創出することはできません。また、優秀な人材を育成するには時間が必要であり戦略的な取り組みが必要となることは言うまでもありません。特に、アプリケーション・ソフトウェアの開発やチューニングを行える人材の育成は、これまでもフラッグシップ計算機開発プロジェクト(HPCI戦略プログラムやポスト「京」重点課題)で行われて来ましたが、フラッグシップ計算機開発の端境期(運用期)において、人材育成を主眼としない成果創出加速プログラムだけが実施されている状況では、人材育成のための予算が非常に少なく継続的な人材育成が非常に困難な状況であります。また、科学技術関連の競争的資金でも成果創出に重きが置かれ、この様な人材育成は非常に困難な状況であります。
第6期科学技術・イノベーション基本計画では、我が国が推進する長期的な科学技術政策としてSociety5.0の実現、持続可能な社会への変革、研究力強化、教育・人材育成などが謳われていますが、これらの政策に対して「富岳」を中心としたHPCIを活用した計算科学・計算機科学が非常に重要な役割を担うことは言うまでもありません。これら国の長期的な科学技術政策への貢献の際にもスキルをもった優秀な人材が鍵となるため、計算科学・計算機科学における人材育成に対して継続的かつ計画的な投資が重要となります。「富岳」の成果最大化のためには、今後数年間に渡って「富岳」をフルに活用できる安定的な体制(プロジェクト)を継続することが必要であり、特に、将来を考えたときに継続的かつ安定して人材育成ができる体制は必須であり、そのような施策を早急に実施すべきであると提言しています。
人材育成に関してはもう一つの課題があります。高度に複雑化したアプリケーション・ソフトウェアの開発では、その基盤となる科学に関する新しい物理・数学モデルや計算手法の知識もさることながら、計算機ハードウェアを使いこなすプログラミング技術など、計算科学および計算機科学の両面からの知識が必要となります。また大規模化しより複雑化するプログラム自体の開発にも、これまでに比べて多くの時間がかかるようになっています。ましてや、最先端のフラッグシップ計算機を使うためには高度なチューニング技術が必要となり、プログラムの開発やチューニング、更には普及に関わる研究者は、彼らの評価の源泉である論文がなかなか書けません。大学や国立研究所の研究者は、評価の絶対軸が論文であり、特に我が国の計算科学分野においては、往々にしてプログラム開発は殆ど評価されず、その結果彼らのポストやキャリアパスは非常に貧弱な状態となっています。世界的に著名なアプリケーション・ソフトウェアの殆どが欧米で開発されたものである一方、我が国から殆ど出てこない大きな一因は、このプログラム開発が評価されない点にあると言っても過言ではないと思います。一方、産業界における研究部門では、計算科学のためのアプリケーション・ソフトウェア開発には人的投資も少なく、もっぱら外部、それも海外で開発されたアプリケーション・ソフトウェアの利用が主であります。その結果、アプリケーション・ソフトウェア開発者の採用ならびにキャリアパスが形成されておらず、プログラミングスキルの高い人材の育成はもとより雇用すら困難な状況であります。アプリケーション・ソフトウェアを開発できる人材が必要不可欠である以上、ポストの確保、キャリアパスの形成、肯定的な社会的評価を実現することが最重要課題であります。HPCIコンソーシアムでは、優秀なソフトウェアの開発者を側面から支援することを目的として、2023年度からHPCIソフトウェア賞を新たに設立しました。この賞では、大規模計算などの計算科学分野の発展に貢献したソフトウェアのうち、特に有益と認められたソフトウェアについて、開発者・団体(HPCIソフトウェア賞開発部門賞)あるいは普及に貢献した者・団体(HPCI ソフトウェア賞普及部門賞)を表彰します。この賞が人材育成の一助になることを期待しています。
②次期フラッグシップ計算機の開発に関する提言:
次期フラッグシップ計算機は圧倒的な性能・機能を実現することが求められていますが、ムーアの法則の終焉と言われているように、従来の要素技術の延長によるだけでは、その圧倒的な性能を実現することは非常に困難な状況になっています。フラッグシップ計算機は科学的・社会的課題を解決するツールであり、これまではアプリケーション・ソフトウェアでどの様な成果が出せるかという観点でシステム検討(アプリケーション・ドリブン)が進められ、できるだけ多くのアプリケーション・ソフトウェアで成果を出せるように汎用的なシステムが開発されてきました。しかしながら、それぞれの要素技術での性能限界が見えてきた現在において、従来の延長線での性能向上が難しくなってきており、これまでの様に引き続き性能向上を求めるなら、この様なアーキテクチャでしか実現できないといった検討結果(アーキテクチャ・ドリブン)も示されています。いずれにせよ次期フラッグシップ計算機開発では何を目指して開発するのかの議論および実現に向けた協調設計(Co-designing)が従来以上に重要となります。そのため、今後実施する次期フラッグシップ計算機開発のための議論や協調設計において、十二分な検討ができるように適切な予算と十分な体制を構築し、しっかりとした議論を実施することが重要となります。その際に、これまで以上にアプリケーション・ソフトウェア側の議論が重要になります。何故なら、一般的にアプリケーション・ソフトウェアは、使われているアルゴリズムの特性に起因して計算機との相性があるからで、アプリケーション・ソフトウェアの特性にあった性能バランスの計算機では高い性能を出せるが、合わない性能バランスの計算機では性能チューニングを頑張ってもそれほど性能が出せないことはしばしば見られます。「京」「富岳」では、多くの特性が異なるアプリケーション・ソフトウェアに対してある程度の性能を出すことを目指して、汎用的システムとして開発されてきました。しかしながら、それも限界に近付いており、特に計算機の性能バランスをアプリケーション・ソフトウェアの要求に応じて自由に設定することは困難となりつつあります。そのため、将来にわたって継続的に成果を出すためにはアプリケーション・ソフトウェア側も、それぞれのアルゴリズムなど従来の特性を見直し、必要に応じてアルゴリズムを変えるなどして特性を変化させ、アプリケーション・ソフトウェアの特性と適合した性能バランスを有する計算機の選択の幅を広げることが求められています。
この様に、次期フラッグシップ計算機開発に関しては様々な課題があり、これらの課題に対する十分な検討が必要であります。そのため、2022年度に開始された次期フラッグシップ計算機開発のための議論(Feasibility Study、FS)において十分な議論ができるように、全日本的な体制を構築し、適切な規模の予算を配算すべきです。また、アプリケーション・ソフトウェア側とシステム側との協調設計などの議論は、FSで実施するだけにとどまらず、次期フラッグシップ計算機の開発が終了し運用が開始された後も、性能改善活動に向けたコンパイラ機能の強化やアプリケーション・ソフトウェアのチューニングなどの議論を引き続き実施すべきであり、そのための継続的な体制を構築すべきであると提言しています。
フラッグシップ計算機をはじめ HPCI の構築・運営には国費が投じられており、これらの国費投入に対して国民の理解を得ることは非常に重要であります。HPCIは、より良い社会の実現に向けて様々な科学的・社会的課題を解決することで国民の期待に答える、と同時に国民に広く夢を与えられることを示すことも、我々HPC に関わる全ての関係者が検討すべきことであると考えています。