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一般社団法人 HPCIコンソーシアム
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東日本大震災から7年HPCを活用して津波減災力を強化する
「津波浸水被害推計システム」が本格稼働

東北大学サイバーサイエンスセンター

▲ 東北大学サイバーサイエンスセンター

 東北大学サイバーサイエンスセンター長に着任して3年目に東日本大震災に遭遇。その後、東北地方の中核大学として“東北復興”に力を注いできた東北大学における計算科学部門のトップとして、小林広明さんは幅広い分野でHPCを利用した復興プロジェクトを支えてきました。その1つが、東北大学災害科学国際研究所を中心に産学連携で開発に取り組んできた「津波浸水被害推定システム」です。地震発生時の断層推定から津波による浸水被害推計・可視化・情報提供までを高度なHPC計算リソースを効率的に活用して迅速に行う世界最先端の防災・減災システムは、内閣府が運用する「総合防災情報システム」にも採用され、いよいよ2018年春から本格運用が開始されます。今回は、このシステムの開発に力を注ぎ、モデルの高速化や大規模並列化、システム開発・実装などを担当してきた小林広明さんにお話をうかがいました。

小林 広明
Hiroaki Kobayashi
東北大学 大学院情報科学研究科 教授
同 情報基礎科学専攻 専攻長
東北大学サイバーサイエンスセンター センター長特別補佐

小林広明様

情報基盤センターは大学病院のような場所

──長年にわたって日本のHPC要素技術の研究開発やHPC政策の意思決定に携わり、その発展に貢献してこられた実績により、2017年10月に「情報化促進貢献個人等表彰」文部科学大臣賞を受賞されました。おめでとうございます。

小林(敬称略) 優れた先輩方がたくさんおられるなかで、私などが賞をいただいていいのかなという思いもありますが、今日まで地道に続けてきた活動を評価していただけたことはとてもありがたいですし、うれしい気持ちです。現在の東北大学サイバーサイエンスセンター、当時は情報シナジーセンターでしたが、そこへ異動になったのは2001年でした。それまで米国で2年ほど研究を行い、帰国と同時に移りました。当時から私の研究テーマはHPCシステムを“つくる”ことで“運用する”ことに取り組んだ経験はありませんでしたが、センターでシステムを利用する先生方と共同研究というかたちで、いろいろ取り組ませていただいたおかげで、自分自身の技術開発の研究もさらに広がりました。利用を意識しながら、出口を見据えてHPC技術の開発を進める取り組みは、例えば今回の受賞の理由として挙げられている「津波浸水被害推定システム」の開発にもつながっています。

────センター長に就任されたのは2008年4月、ちょうどサイバーサイエンスセンターに改組された年ですね。それから2016年3月まで8年間にわたってセンター長を務めてこられました。

小林 さまざまな分野の先生たちの研究との出会いがありましたし、私にとっては非常にやりがいのある、とても面白い時代でした。大学の情報基盤センターは、医療に例えると、まさに大学病院のようなところです。医学研究の成果を実際に病院で応用して、医療の現場から得られた成果を再び研究に活かすのが大学病院の役割ですが、大学の情報基盤センターも同様で、私たち計算機科学の研究者がベンダーとともに技術開発を行い、産学連携でHPCシステムを用意し、それを使って研究者たちが計算を行い、そこから得られた知見や課題、さらに次のHPCに求められる機能や性能を研究室に持ち帰り、次のシステムに向けて研究開発を行います。こうしたサイクルのなかで、HPCは発達し続けてきたわけです。情報基盤センターは、単にHPCを運用してユーザーに提供しているだけではなく、ユーザーが行う研究において、より高い成果を達成するにはどのようなシステムが求められるのかを常に考えながら運用しているわけです。そして、研究を支えるという意味では、もちろんシステムが高性能であることは重要ですが、いろいろな分野で活用できるシステムであることも大切であり、さらにシステムを使う技術を伝えていく利用支援などの利用環境の整備も大事な役割であると考えています。

────センター長に就任されてからは、それまでのHPC技術の研究にはないご苦労もあったのではないですか。

小林 研究科時代は、研究と教育だけでしたが、センターに移ってからは、そこに運用とサービスが加わりました。サービスというと、どうしても二次的なもののように思われがちですが、センターはユーザーに利用していただき、HPCを最大限研究に活かしてもらうことが何より重要ですから、利用支援にしっかり取り組むことが求められます。私たちにとっても、ユーザーと一緒に研究を進めることで、自分たちの研究にフィードバックできる知見や課題が得られますから、利用支援も研究の一部と考えていました。また、利用支援は人材育成という意味で、教育にもつながります。そうしたことを常に心がけながら運用を行ってきました。計算科学の発展に貢献し、そこから得られた知見を計算機科学の発展にフィードバックする。それによって、計算科学と計算機科学を両輪とするウィン・ウィンの関係を築いていくことが、センターの役割であり目標なのです。

東日本大震災後の新たなチャレンジ

──東日本大震災が発生したのは、センター長に就任されて3年が過ぎようとしていたころでしたね。

小林 震災により、大学は一部の建物で地震による被害を受けましたが、サイバーサイエンスセンターは耐震補強されておりましたので、大きな被害はありませんでした。ただ、直後はライフラインが止まり、電力が復旧するまではHPCも機能しませんでした。その後も節電ということで、しばらくは部分運用のみでした。本格的に運用が再開したのは、地震発生から約2か月後、5月に入ってからでした。一方で、東北大学は被災地域の中心大学として、全力で東北復興・地域再生を牽引していかなければならないと、震災発生直後の2011年4月に「災害復興新生研究機構」を設立しました。「復興・地域再生への貢献」、「災害復興に関する総合研究開発拠点形成」、「分野横断的な研究組織で課題解決型プロジェクトを形成」という3つの基本理念に沿って、8つのプロジェクト、100件を越える復興支援プロジェクトが展開されることになりました。実践的な防災学創成による世界的な災害科学の研究拠点をめざす「災害科学国際研究所」の設置もその1つです。

──サイバーサイエンスセンターで進めている「津波浸水被害推計システム」の開発は、この災害科学国際研究所が中心となって行われてきたプロジェクトですね。

高い実効性能を誇るベクトル型HPC「SX-ACE」

▲ 高い実効性能を誇るベクトル型HPC「SX-ACE」

小林 災害科学国際研究所の越村俊一教授は、気象庁が発表する津波予報(どこに何メートルの高さの津波が来襲するかを予測)では行わない詳細な浸水域と被害の早期予測の実現を目指して「津波浸水・被害推計シミュレーションプログラム」の開発を進めてこられました。その計算をより高速化するために、サイバーサイエンスセンターのベクトル型HPCへのプログラム移植・最適化が行われ、ベクトル型の特徴を活かした高性能化・大規模並列化が実現しました。一方、予測計算を迅速かつ正確に実施するためには、初期条件として地震によって引き起こされる津波の高さ分布が必要です。そのために東北大学理学研究科が中心となって開発した震源断層モデルの即時推定データが活用されています。さらにこのプロジェクトでは、「10分以内に津波発生を予測し、対象領域を10mメッシュという高解像度で、10分以内に浸水予測計算(6時間分)を完了する」という「10-10-10(トリプル・テン)チャレンジ」を初期の目標に掲げていました。これを実現するためには、いつ地震が発生しても即座にHPCによる計算が実行できる体制が求められます。サイバーサイエンスセンターのHPCは、基本的に学術利用で東北大学をはじめ全国の研究者に計算資源を提供しており、システムの稼働率は年間約80%、24時間フルタイムで稼働しています。通常はジョブキューを投げて順番に処理していくバッチ処理型のシステムですから、地震・津波が発生してから、ジョブキューを作成して流していくやり方ではとても間に合いません。そこをどうにかしなければいけないということで、ユーザーの方々にはたいへん申し訳ないのですが、緊急時には通常のプログラムを一時的に止めて、瞬時に津波浸水・被害推計シミュレーションのジョブが走るディザスター(災害)モードを新たに開発しました。これにより、地震発生と同時にリアルタイムGPS観測データなどをもとに作成されたシミュレーションの初期データを受け取ってから、直ちにそれをHPCに流し込んでシミュレーション計算を実行し、計算結果を可視化して、得られた情報をウェブを介して送信し自治体などに提供する、そこまでを全て一気通貫で自動化することができました。ディザスターモードによる緊急ジョブには、サイバーサイエンスセンターのベクトル型HPCリソースの5分の1から10分の1程度が対応し、10mメッシュで津波浸水被害推計6時間分を10分以内に計算します。1年365日、1日24時間いつでも対応可能です。その結果、従来の手法では数日かかっていた被害推計を、理学・工学・情報科学の学際連携および産学連携により、地震発生から30分以内で行うことが可能になりました。

津波浸水被害推計システムを防災・減災に活かす

──津波浸水被害推計システムは、内閣府が運用する「総合防災情報システム」の一機能として採用されたと聞いています。

小林 当初は特定都市を対象に実証実験を行ってきましたが、2017年度からは南海トラフにおける地震・津波発生を想定して、鹿児島県から静岡県までの沿岸域約6,000㎞の範囲で、30mメッシュで津波浸水被害推計を行うシステムの開発を進め、11月に完成しました。その後の試験運用を経て、2018年4月からは本格運用がスタートし、内閣府の「総合防災情報システム」の一部として情報を提供できるようになりました。また、このシステムでは、東北大学サイバーサイエンスセンターだけでなく、大阪大学サイバーメディアセンターにも同じシミュレーションコードが導入・運用されており、東西の2拠点で計算を行うことで、安定的に信頼性の高い情報を提供できる仕組みになっています。

──津波浸水被害推計システムによって発信される情報は、どのように利用されるのでしょうか。

小林 私たちも実際に高知県などへ現地調査に行きましたが、高知県の沿岸部では、大きな地震が発生したら、すぐに津波に備えて避難するという意識が徹底しています。ですから、津波浸水被害推計システムの情報は、直ちに市民の避難に役立つというよりも、効果的な被災地域の救助活動や医療チームの展開に活用してほしいと考えています。津波浸水の被害をいち早く把握して、適切な救助や支援の体制を整えるために活用してもらいたいのです。2011年の東日本大震災では、“防げた死”が数多くあったと医師や救助活動に携わった方々から聞いています。例えば津波が発生したときに、どの病院が医療チーム展開の拠点として使えるのか、ケガをした人たちをどこへ運べば適切な治療が受かられるのかといった災害医療を迅速かつ効果的に行うために、津波浸水被害推計の情報が役立つと考えています。そのための関係機関との共同研究もすでに始まっています。また、電気やガス、鉄道などのインフラ系の事業者と連携して、効果的な復旧に情報を活用してもらうための取り組みも進めていきたいと考えています。情報発信のシステムは完成しましたので、今後は情報をどのように活用してもらうかを考えることが重要と思っています。

東北大学サイバーサイエンスセンター活動紹介資料より

▲ 東北大学サイバーサイエンスセンター活動紹介資料より

HPCIに求められる多様性

──2016年4月からは、センター長特別補佐という役職に就いておられますね。

小林 センター長は、通常2期(4年)くらいで変わるのですが、少し長く務めさせていただきました。現在は、サイバーサイエンスセンターのHPCシステムの将来設計や運用方針などの全体的な枠組みに関してアドバイスさせていただくという立場で、堅苦しくいえば、大学の情報基盤センターのあるべき姿とは何か、今後どのように活動していくべきかについて提言していくのが私の役割ということになります。一方で、自分自身の仕事として、より高性能な計算システムを実現するための研究に産学連携で取り組んでいます。4年前、サイバーサイエンスセンターに産学連携の拠点として、日本電気(NEC)との共同研究部門を設置し、その担当教授として、出口を見据えた高性能計算技術の開発研究を進めています。産学連携については、研究成果を社会に還元し、さらにその成果を次の研究に活かすという意味で、私たちの研究開発成果を実際に製品化まで展開してくれる企業との連携は、非常に重要と考えています。

──「ポスト・ムーア時代」ともいわれる今日、HPC開発も難しくなっているのではありませんか。

小林 そうですね。いろいろな意味で難しい時代です。技術開発ももちろんですが、必ずしも技術的に優れたものが売れるとは限りませんからね。ただ、AIやビッグデータ、クラウドやIoTとの連携など、さまざまな応用分野が拡大していますし、HPC技術を比較的コンパクトに幅広く展開できる時代になっています。その意味では非常に面白いというか、研究対象としては広がりが出てきていると思います。そこを、ぜひビジネス的にも活かして、日本の基幹産業として発展してくれるといいですね。そうなれば人材も集まり、産業としてもうまく回っていくと思います。まだ少し時間がかかるかもしれませんが。

──そうした広がりといいますか、裾野の部分を支えていくというのも情報基盤センターの役割かもしれませんね。

小林 大学の情報基盤センターは、「京」やポスト「京」のような、いわゆるフラッグシップマシンの下に位置する2番目の階層にあり、より広範囲な研究を支援し、HPCの裾野を広げていく役割を求められていると思っています。ですから、なるべく使いやすく、敷居の低いシステムを導入して、いろいろな人に使ってもらえるような取り組みをしていきたいですね。HPCというと、何か特殊な人が特殊な環境で使っているイメージがあります。確かにフラッグシップマシンはそういう面があるかもしれませんが、情報基盤センターのHPCは、幅広い人たちに利用してもらうために、さまざまなニーズに応えながら、利用者を支援し、利用拡大を促して、計算科学全体を広げていく役割を担っていると思います。さらに、利用者と一緒に裾野のレベルをより高度なものに引き上げる橋渡し的な役目もあると思います。そのためには、日本のHPCインフラ(HPCI)全体のなかで、フラッグシップマシンと第二階層の繋がりを、ギャップが生じないようにしっかり設計していくことも重要なことだと考えています。

──今後のHPCIのあり方について、どのようにお考えですか。

小林 国の戦略としてシンボリックなマシンをつくりたいという考えはあるかと思いますが、「京」が完成してからポスト「京」までに10年かかっているわけです。また、「汎用性」という言葉は、あたかも万能のようなイメージがありますが、それぞれの分野で全て最高の成果が得られるのかというと疑問が残ります。「ワン・フィット・オール」という汎用性の時代は、もう終わりつつあるのではないかと、個人的には考えています。また、第二階層のマシンも、フラッグシップマシンの後追いではなく、それぞれの特徴を活かした多様性を持ち、全体としてHPCI を底上げして、HPCI全体でフラッグシップマシンを包み込む大きなピークをつくっていく、そんな姿がこれからは望まれるのではないかと思っています。そのためにも、システムの多様性は重要です。ユーザーは、自分の研究で最高の成果が得られるシステムを選べばいいのです。ユーザーは適材適所、私たち情報基盤センターは多様性を持ってそのニーズに応えていく、そうして全体としていろいろな分野をカバーしながら高い成果に繋げていく──それがこれからのHPCIに求められる姿ではないかと思っています。